Tuesday, November 14, 2006

輝ける星?流れ星?

去年の9月から今の会社で働いてますが、同期が13人います。うちの会社は「若手(ホントカ?)」(勤務経験4年~8年&修士)を年に一回リクルートし、もっと経験のある人達は中途として通年採用。第二新卒(でも2年~4年の経験が重要)も必要に応じて、通年採用しているようです。

で、私は年一回行われる採用に運よく引っかかり、(エセ?)若手の一人になったわけですが、一年も経たないうちに同期が二人流れ星のように辞めてしまい、当初は15人いた同期も13人になってしまいました。残った同期のうち二人も、ケニヤと南アフリカのオフィスに移ってしまったので、DCにいるのは私を含めて12人になってしまい、寂しいねぇ、と言っていたところだったんですが、2ヶ月前一つ下の若手が入ってきて数を数えてみたら14人。あれ?去年うちらが入った時に、若手の採用を20~25人以上に増やすって言ってなかったっけ?会社が急成長してるのに合わせてって。おかしいなー。景気が回復してきたから、オファーをリジェクトして、他の会社に行った人が多かったのかなぁ、と皆で話していたんですが、更にびっくりニュース!

何と「来年の若手の採用は5人だけ」という噂が同期のグループメールでまわってきたのです...。

その後30分(仕事しましょう)のうちらのメールのやり取り:

「私たちなんか悪いことした?」

「よっぽどうちらの評判が悪いってこと?」

「社内の輝ける星だと思ったんだけどねぇ。」

「一年以内に二人消えたしね。」

「じゃあ、僕らは希少動物ってことだな。」

「保護してもらわなきゃ。」

「天然記念物!」

会話はあらぬ方向へ...。

でもジョークを飛ばしつつも、内心心配なのは皆一緒。先週人事部とのランチがあったときに、早速質問が出ました。人事部の人は5人という人数は出しませんでしたが、確実にDCで雇う数は減るとのこと。組織全体でディセントラライゼィション(decentralization分権・分散経営?)を図る上で、DC本部での人数をなるだけ抑えようということらしいです。会社のスローガンはグローバル・ローカル。グローバルなビジネスモデルには、ローカル(地元)の足場を固めるのが重要ということなんでしょう、きっと。さらにフィールド・オフィスで直接若手を含め人を雇うことによって、本部からの海外転勤を減らし、コスト削減もしようということかな。

輝ける星、流れ星、天然記念物、色々呼び名はあるようですが、絶滅しないように頑張らなきゃ?

Monday, November 13, 2006

くりすます!

実家の猫に付けてみたい!
かわいいけど超嫌がるだろうなー。
くだらないトピックでした。

Sunday, November 12, 2006

Ballets Russes

久しぶりにバレエ物の映画を見た。「バレエ・リュス」というドキュメンタリーで、ロシアの伝説的振り付け師ディアギレフが設立したロシアのバレエカンパニーバレエ・リュスの話というよりも、1929年ディアギレフ死後一旦解散した後に再結成された方のバレエ・リュス・デ・モンテカルロの話だった。ちなみにオリジナルのバレエ・リュスは伝説のダンサーニジンスキーも生んだ、世紀のバレエ団なのである。

ドキュメンタリーは、バレエ・リュス・デ・モンテカルロの元メンバー達が2000年に同窓会を行い、40年以上ぶりに仲間に会う、というイベントを軸に進んでいく。第一次大戦後にパリで再結成され(モンテカルロで初舞台)、第二次世界大戦中にアメリカに本拠地を移したバレエ団なので、残っている元メンバーはそれこそ80歳だの、90歳だのかなり高齢。それでもうれしそうにレオタードを着ているおばあちゃん(はっきり言って美しくないですが...。(>_<))や、元ダンスパートナーと踊りだしちゃうおじいちゃん等、かなり微笑ましいシーンが満載。皆昔の写真を見ると、きれいですねぇ。

バレエ・リュス・デ・モンテカルロには有名なダンサーや振付師が沢山いました。舞台の衣装も、芸術家のミロやダリがデザインしたりしてたのです。更に今では普通になっていますが、バレエの舞台に生オーケストラの演奏を初めて付けたのも、このバレエ団だったのを知りました。その当時は、かなりセンセーショナルなイベントだったようです。ふーん。

更に発見だったのは、ニューヨーク・バレエ・シアターの前身が、後に二手に分かれたバレエ・リュス・デ・モンテカルロ(仲たがいをして二つのバレエ・リュスができた)のうちの一つだったこと。第二次大戦中、ヨーロッパから亡命したロシア人のバランシン(彼の作った作品には、特にモダンバレエでは避けては通れないものが多々あります)がアメリカにバレエを広めるのを助け、更にアメリカのバレエ界の頂点とされるニューヨークバレエを作ったとは夢にも思ってませんでした。バレエといえば、ずっとヨーロッパ(パリ、ロンドン、ローザンヌ、ロシア)のイメージしかなかったので、アメリカのバレエの歴史がそれなりに深いのだとは考えてもみませんでした。

因みに亡命したバランシンの作品は、ロシアのバレエ学校では高学年にならないと絶対躍らせてもらえないそうです。敵国に渡った裏切り者、というレッテルが冷戦中に貼られていたのでしょうね。こっそり語られるんだそうです。

アメリカに渡ったバレエ・リュスは、メジャーなバレエ団で初めて黒人のバレリーナを雇いました。(差別の強い)南部の公演があるから、黒人はリスクが大きすぎて採れない、と何回も断られ続けてもめげずにオーディションを受け、採ってもらったそうです。その後順調にソリストまでなったこの黒人バレリーナは、60年代エスカレートする黒人差別のせいで、残念なことに6年でバレエ団を辞めることになります。南部の公演の最中に、KKKが「黒人はどこだ」舞台に押しかける場面もあったそうです。(>_<)

バレエ好きの人でないと、ちょっと退屈してしまうドキュメンタリーかもしれませんが、世界大戦時の様子など、時代的背景も面白かったです。

ミカンとザクロ

昨夜スーパーにお買い物に行ったら、小ぶりのミカン1ケースが6㌦99㌣で安売りに出てました。あ、ミカン!久しぶりに食べたいなぁ、と思いつつ、30個は入ってそうな感じです。迷った挙句、買いませんでした。

今日の夕方、昨日売り切れていたTotal Fageギリシャヨーグルトを買いにまたスーパーへ。昨日より高く棚積みされたミカンたち...。えーい、やっぱ買っちゃおう。買っちゃいました。家に帰ってきて数えたら、やっぱり30個くらいある。(-_-;)うーん。同じアパートに住んでいる同僚に配るしかない。アメリカではあまりミカンは主流ではありません。オレンジが殆ど。でもやっぱり冬はミカン。手でむけるのがグッド。これでコタツがあれば...。因みにミカンはClementineと言います。

デトックス効果で人気のザクロジュースPOM。ザクロは英語でpomegranate(長い!)というのでポムです。高いけれど美味しいです(オレンジジュースみたいに沢山汁が出ないからだろうなぁ)。そのままだと濃いので、スパークリングウォーターで薄めて飲んでます。

スーパーに本物のザクロが並んでいました。ザクロなんて久しく食べてません。小学生の時に食べたきり?!もらい物だか、珍しいから買ったのか覚えてませんが、なんか苦労して剥いたわりに、身はこれだけ?と思った記憶が...。安売り(相場がわからないですが)1個2ドルだったので、一個ゲット。やっぱり苦労して剥いたわりに、食べ応えが...。赤い粒の中にプチプチした柔らかい種みたいのが、イマイチなんだなぁ。やっぱりジュースのほうがいいや。