Sunday, November 12, 2006

Ballets Russes

久しぶりにバレエ物の映画を見た。「バレエ・リュス」というドキュメンタリーで、ロシアの伝説的振り付け師ディアギレフが設立したロシアのバレエカンパニーバレエ・リュスの話というよりも、1929年ディアギレフ死後一旦解散した後に再結成された方のバレエ・リュス・デ・モンテカルロの話だった。ちなみにオリジナルのバレエ・リュスは伝説のダンサーニジンスキーも生んだ、世紀のバレエ団なのである。

ドキュメンタリーは、バレエ・リュス・デ・モンテカルロの元メンバー達が2000年に同窓会を行い、40年以上ぶりに仲間に会う、というイベントを軸に進んでいく。第一次大戦後にパリで再結成され(モンテカルロで初舞台)、第二次世界大戦中にアメリカに本拠地を移したバレエ団なので、残っている元メンバーはそれこそ80歳だの、90歳だのかなり高齢。それでもうれしそうにレオタードを着ているおばあちゃん(はっきり言って美しくないですが...。(>_<))や、元ダンスパートナーと踊りだしちゃうおじいちゃん等、かなり微笑ましいシーンが満載。皆昔の写真を見ると、きれいですねぇ。

バレエ・リュス・デ・モンテカルロには有名なダンサーや振付師が沢山いました。舞台の衣装も、芸術家のミロやダリがデザインしたりしてたのです。更に今では普通になっていますが、バレエの舞台に生オーケストラの演奏を初めて付けたのも、このバレエ団だったのを知りました。その当時は、かなりセンセーショナルなイベントだったようです。ふーん。

更に発見だったのは、ニューヨーク・バレエ・シアターの前身が、後に二手に分かれたバレエ・リュス・デ・モンテカルロ(仲たがいをして二つのバレエ・リュスができた)のうちの一つだったこと。第二次大戦中、ヨーロッパから亡命したロシア人のバランシン(彼の作った作品には、特にモダンバレエでは避けては通れないものが多々あります)がアメリカにバレエを広めるのを助け、更にアメリカのバレエ界の頂点とされるニューヨークバレエを作ったとは夢にも思ってませんでした。バレエといえば、ずっとヨーロッパ(パリ、ロンドン、ローザンヌ、ロシア)のイメージしかなかったので、アメリカのバレエの歴史がそれなりに深いのだとは考えてもみませんでした。

因みに亡命したバランシンの作品は、ロシアのバレエ学校では高学年にならないと絶対躍らせてもらえないそうです。敵国に渡った裏切り者、というレッテルが冷戦中に貼られていたのでしょうね。こっそり語られるんだそうです。

アメリカに渡ったバレエ・リュスは、メジャーなバレエ団で初めて黒人のバレリーナを雇いました。(差別の強い)南部の公演があるから、黒人はリスクが大きすぎて採れない、と何回も断られ続けてもめげずにオーディションを受け、採ってもらったそうです。その後順調にソリストまでなったこの黒人バレリーナは、60年代エスカレートする黒人差別のせいで、残念なことに6年でバレエ団を辞めることになります。南部の公演の最中に、KKKが「黒人はどこだ」舞台に押しかける場面もあったそうです。(>_<)

バレエ好きの人でないと、ちょっと退屈してしまうドキュメンタリーかもしれませんが、世界大戦時の様子など、時代的背景も面白かったです。

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